組織概要
設立趣意
活動内容
会員募集
お問い合わせ
リンク集
最近の活動
会報

 
  ミャンマーは親日国です。英国の植民地だった第二次大戦中の1942年(昭和17年)、日本はビルマ独立軍の組織化を行い、共に英国軍を駆逐しました。翌43年にはビルマは独立を果たしました。しかし、実際は日本軍による軍政が日本敗戦直前まで続いています。この間約30万人の将兵が日本から送られ、19万人が戦病死しています。
  英国は統治中、ビルマの多民族を分離・統治し、民族間の憎悪を育て、ビルマ人から将校、技術者、政治家になる途を奪いました。戦後の復興を支えたのは戦時中、日本によって教育を受けた技術者、将校であり、日本の経済支援でした。


ミャンマーの日本人墓地

敬虔な仏教徒が多い

ミャンマーの街を走る
日本のバス


 

 


  戦後の経済政策の失敗により、ミャンマーは世界の最貧国のひとつとなっています。民族間の憎悪から発展した内戦は、依然、尾を引いています。現在の軍政はその名残ともいえます。


 

 


  小学校、寺院を中心とする初等教育はいきわたっており、英語教育も盛んです。医学教育をはじめとする高等教育は英語で行われており、医師達は意欲もあり、有能です。


 

 


  感染症が依然として猛威を振るっています。下痢症、蚊などの媒介する疾患(マラリア、フィラリア症、日本脳炎、デング出血熱など)、寄生虫病、結核、エイズ、ハンセン病、ウイルス性肝炎などが多いのです。また、熱帯地方特有の遺伝性血液疾患もあります。国民医療は伝統医療が中心であり、現代医学に対する知識、欲望はあるが普及していません。


 

 


  疾病のグローバル化に対応した感染症対策、遺伝子解析などを行い、知識を蓄える必要がありますが、ほとんど手がつけられていません。ミャンマーでは現代の分子生物学に精通する科学者が少ないのが現状です。


 

 


 現在の軍政下では、日本からの医療援助を含めた大規模な対外援助は望めず、相互の繋がりが非常に細くなってきており、特に信頼関係による人脈を通じた交流はほとんど不可能となっています。これは日本にとっても大きな損失です。
  地球環境のグローバル化に伴い、感染症を中心とする疾病を局地的な枠組みで理解することは意味がなくなってきました。日本の将来的な健康政策も、グローバルな視点に立って築かなければなりません。


 

 


1996年(平成8年)より岡山大学医学部病理学第一講座教授の岡田茂を中心に、ミャンマーとの医療協力を開始し、遺伝性貧血症の遺伝子解析と保因患者のホルモン解析、ミャンマーにおけるC型肝炎の知識普及事業、ミャンマーのB型・C型ウイルス肝炎の遺伝子解析と慢性肝炎患者の瀉血療法の開始、輸血用血液のC型肝炎ウイルスのスクリーニング開始と輸血事業の改善、ピロリ菌の遺伝子解析、甲状腺疾患の病理組織解析などを進めました。同時に、これらの事業に関わる医師の育成もしてきました。この活動は文部科学省(当時は文部省)、JICA、外務省「草の根無償援助」資金、岡山大学COE資金によって行われました。
  この間、2002年12月には岡山大学とミャンマー保健省医学研究局(Department of Medical Research)・医科学局(Department of Medical Sciences)の間で大学間協定が結ばれました。医科学研究局の下に各医科大学(ヤンゴン2校、マンダレー、マグエ)、歯科大学(ヤンゴン、マンダレー)、薬科大学、看護学校、コメディカル養成施設があり、現在、これらの大学や施設から毎年岡山大学に研修生が派遣されています。

2005年(平成17年)に岡田茂が定年退職し、岡山大学名誉教授となり、学校法人加計学園理事、玉野総合医療専門学校長、岡山大学客員教授に就任しました。これを機に、上記のミャンマーにおける活動内容を基盤として、医療協力、専門家の育成などを一層推進するため、NPOを立ち上げました。


2000年8月
“C型肝炎対策”の第一回シンポジウム